日本律令國家의 信仰과 災難 -‘四天王신앙’과 ‘貞觀대지진’-
송완범(고려대학교)
34권, 273~309쪽
초록
当時の日本支配層は周囲の「穢」に満ちた異域から淸淨な国家領域を守るという防御的な対外姿勢を有していた。つまり, このような古代日本の内向的な姿勢が9世紀半ばの律令国家の辺境意識の変質に影響をおよぼしていたと理解できる。このような律令国家の転換には律令国家の外部、すなわち、唐と新羅の変動が一要因であり、このことは10世紀転換説と9世紀転換説のいずれにも共通していたといえる。9世紀の律令国家の転換には辺境意識の変化を確認しうる、目に見える構造物が現われはじめることになる。これがほかならぬ四天王信仰の活性化であるとともに、当時、辺境とされた地域のあちこちに建立された四天王寺であった。しかし、昨年3月11日に起きた、未曾有の‘東日本大震災’の発生とその後の事態を見守るにつけ、従来の研究がほとんど注目してこなかった点に思い至った。別言すれば、これまでの研究では、災害と災難の影響が国家体制のシステムと方向性の決定にいかに大きな影響を及ぼしうるのかという点について、ほとんど顧られることはなかったのではないかという疑問である。本稿はこうした点についての古代史からの一つの答えでもある。四天王信仰とは、本来は祈祷によって新羅の降伏を願うことであったが、大同2年(807)以降は疫病、そして貞觀11年(869)の小野山城の四王院の事例は阿蘇山の患いによる疫病を防ぐ信仰へと変容していったと考えられる。このような変化は実際の軍事的な外敵に対してではなく、国家の外部から侵入し、中央に疫病を撒き散らすと考えられた観念的な外敵を防ぐ地域に四天王信仰が必要であるという意識の変質が内在していたと考えられる。言い換えれば、観念的な外敵に対する神仏の加護が、辺境での四天王法の特徴として変質していったことを余すところなく説明してくれる。最後に、‘貞観大地震’に代表される9世紀半ば以降の引き続く大規模の地震と津波、またこれらによる二次被害という深刻な自然災害に対して、古代日本の中央政府は余力はなかったものの、以上の対外観の変質に象徴される9世紀の転換に一定の役割を果たしたことを否定することは難しいだろう。
- 발행기관:
- 일본학연구소
- DOI:
- http://dx.doi.org/
- 분류:
- 기타인문학